
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(ドイツ語:Wiener Philharmoniker ヴィーナー・フィルハーモニカー)は、オーストリアの首都ウィーンにあるオーケストラ。世界でも最も有名なオーケストラの一つである。ウィーン楽友協会大ホール(ムジークフェラインザール)を本拠地として活動している。2006年の世界のコンサート・オーケストラ・ランク表ではトップに位置している。
概説
ウィーン国立歌劇場のオーケストラであるウィーン国立歌劇場管弦楽団の団員のうち、入団を認められた者が自主運営団体たるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を構成する。当然、ウィーン国立歌劇場管弦楽団員であってもウィーン・フィルハーモニー管弦楽団員ではない者もいる。ちなみに歌劇場のオーケストラは150名ほどだが、ウイーン・フィルのメンバーは120人ほどでである。その演奏法や水準にはほとんど差が無いが、奏者が若かったり、外国人だったりしてその差が付けられる。大型の編成を求められる曲(例えばマーラー)では国立歌劇場の団員もエキストラとして出演する場合もある。
英語表記のVienna Philharmonic Orchestraの頭文字を取ってVPOと表記されることもある。正式な略称はドイツ語表記よりWPhであるが、もっと簡単にWPともする。
コンサート
定期演奏会は9月~6月にかけて毎月一回程度・日曜日午前11時開始・1プログラム1回・年10回である。公開ゲネラルプローベ(総練習)と称してもう1回の公演も行われ、定期演奏会の前日の土曜日午後3時30分開始となっている。夜はオペラ公演を行う為、ウィーン・フィルの定期演奏会と公開ゲネラルプローベは昼間に行われる。オペラ公演、ザルツブルク音楽祭への出演やウィーン芸術週間(Wiener Festwochen )への出演は恒例であり、そのほかに随時特別演奏会も行っている。もちろんウィーン国立歌劇場のシーズン中は、一日にウィーン・フィルのコンサートとオペラの二重の仕事をこなすことがよくある。
1939年より、毎年1月1日にニューイヤーコンサートを行っている。このコンサートではヨハン・シュトラウス2世を中心としたヨハン・シュトラウス一家の曲を多く演奏している(中でも『美しく青きドナウ』と『ラデツキー行進曲』はほぼ必須の選曲となっている)。
2004年からはシェーンブルン宮殿の庭園で「ヨーロッパ・コンサート」を催している。モーツァルト、チャイコフスキー、スメタナ、ラヴェル、シベリウスなどさまざまな作曲家によるポピュラーな管弦楽曲でプログラムが組まれ(その中ではヨハン・シュトラウス2世の「ウィーン気質」が必ず演奏されている)、2004年はジャズ・ヴォーカリストのボビー・マクファーリン、2005年はズービン・メータ、2006年はプラシド・ドミンゴが指揮を執った。
オーケストラのメンバー
ウィーン・フィルハーモニー協会は自主運営団体であるが、そのメンバーはウィーン・フィルの基盤となるウィーン国立歌劇場管弦楽団の団員としての活動が義務付けられている。オーディションの後、まず国立歌劇場の団員として3年の試用期間を経て(その間ウィーン・フィルの演奏にも待機団員として加わる)、正式にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の団員として採用される。採用されるのは主にウィーン国立音楽大学出身で、しかも先輩団員から直接指導を受け(多くの団員は演奏活動のかたわらウィーン国立音楽大学で教鞭をとっている)、採用される前から補助団員としてウィーン・フィルの演奏に参加している者が半数以上である。
ウィーン・フィルの高い演奏水準の維持は演奏者の性別や民族といった均一性によるところが大きいと言われていた。1990年代まではオーストリア(ドイツ)人または旧ハプスブルク帝国支配地域出身の男性にほぼ限定されており(ドイツ人でもプロイセン系は指揮者も含めて敬遠されがちだった)、こうした傾向が社会的に批判されることもしばしばだった。しかし、1997年に女性ハープ奏者アンナ・レルケスを採用したのを皮切りに、女性楽員が徐々に増加している。また近年日系人の楽員なども登場しており、その門戸は開かれつつあるといえる。
「比類なきオーケストラ」の秘密
ウィーン・フィルは、高級感あふれる優美でデリケートな響き、歌劇の演奏で鍛えられた一分の隙もない高度なアンサンブル、個々のパートの充実した音楽性は、他のオーケストラの追随を許さない。ハンス・クナッパーツブッシュは「比類なきオーケストラ」と称えている。その素晴らしさは個々の奏者の技量というよりは、ウィーンにおいて培われてきた伝統的な奏法・独自の音色に誇りを持ち、それを創立以来固守し続けてきたことに起因するといえる。それゆえに指揮者からの要求に対して、技術的に可能であっても彼らの音楽性に適わないと判断した場合は、はっきりと拒絶することさえある。
独特の音色の秘密として、管楽器はウィンナ・ホルン、ウィンナ・オーボエ、ウィンナ・トランペット、ウィンナ・パウケンなどウィーン・フィル独自の古いスタイルのものが使われている(クラリネットやトロンボーンもドイツ式とは少し違うが、近年職人の減少により日本のヤマハがこれらの楽器の開発と製作に携わっている)。また弦楽器は、コンサートマスターを除いて同じオトマール・ラング工房で製作されたものが用いられている。もちろん、これらの楽器を弾きこなすためのテクニックは、ヴァイオリンであればヨーゼフ・ベームやゲオルグ・ヘルメスベルガー(ウィーン・フィルの初代コンサートマスターでヨーゼフ・ヘルメスベルガー1世の父)を創始者として代々の楽員に継承されているウィーン・ヴァイオリン楽派による。かのフルトヴェングラーは試みにウィーン・フィルの使っている弦楽器を当時自分が監督をしていたウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団(現ウィーン交響楽団)で使用してみたが、ウィーン・フィルのような豊麗な響きを作り出すことはできなかったという。
楽器のみならず奏法にもウィーン・フィル独自のものが存在する。弦楽器のボウイングは弓の元から先端ぎりぎりまで使い、柔らかい音を出すため、弓を指板の近くで幾分力を入れて弾く(スル・タストの一種)。またピッチ(音程)の取り方は他のオーケストラよりも高く音色の高次倍音が少なくなり純度が高まり、アーティキュレーションも音を切る際には、際立たせて切る。これはムジークフェラインザールの残響が長いため、音楽の輪郭がぼやけないように自然に音を切る傾向になったとも言われている。
指揮に対する反応も独特で、指揮者が拍を振り終えてからようやく音を出し始める(ドイツ語圏のオーケストラにはこの傾向がある)。このため、メンゲルベルクやショルティなどのように、指揮棒を振り下ろした時点で即座に音を出すことを要求する指揮者とは意見が衝突することもしばしばだという。
近年、アーノンクールやガーディナー、ノリントンらの客演により古楽の演奏法が理論的に浸透するに連れて、当時のピッチやボーイング、ヴィブラートなどの点で指揮者の意見が通る例が増えてきている。無論、現代曲のグリッサンドが必要なティンパニはペダルのものを使用する(通常はハンドル式のウィンナ・ティンパニを使用する)。
楽器配置もウィーン・フィル独自の並ばせ方があり、ムジークフェラインザールで演奏する際は、歌劇場のピットをそのまま舞台へ上げたような配置で演奏する。基本をドイツ式配置とし、パーカッションは左手奥へ、コントラバスは金管の後ろ、オーケストラの一番後ろの列で横一列に並ぶのが一般的である。しかし、バーンスタインとの演奏では指揮者の意見を尊重しているらしく、弦楽器を第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの順(アメリカ式)に配置しているのが、市販されている録画で確認できる。
ウィーン・フィルが定期演奏会を行う会場は、ウィーン楽友協会大ホール(ムジークフェラインザール)であるが、このホールのすべてが溶け合った陶酔的な響きと長い残響時間もオーケストラの美質を助長しているのは疑う余地がない。
彼らが得意とするレパートリーはベートーヴェン、モーツァルト、ブラームス、リヒャルト・ワーグナー、ブルックナー、リヒャルト・シュトラウスなどいずれもウィーンとゆかりの深いドイツ系の作曲家であり、特にウィーン・フィルの指揮台に立った作曲家のうち数人は、このオーケストラの美しい音色を想像して作曲を行ったとさえ言われている。ひとまわり歴史が浅く戦後急速に国際色を強めたベルリンフィルをさしおいて、ドイツ音楽演奏の第一人者として遇されるゆえんである。
ウィーンで生まれウィーンで亡くなり、ニューイヤーコンサートを通じて看板レパートリーのように思われているヨハン・シュトラウスとは意外にも生前には疎遠であり(機会音楽として軽視していた)、彼を高く評価していたマーラーの指揮を通じて接近、ワインガルトナーを経てクラウスがようやくレパートリーとして定着させた。なおウィーン・フィルの最初期のレコーディング(1924年の機械吹き込み)には「美しく青きドナウ」「ウィーン気質」「天体の音楽」「うわごと」などワルツの有名曲が選ばれている(指揮はヴァイオリン奏者であったヨーゼフ・クライン)。他にウィーン生まれの作曲家としてはシューベルトも重要なレパートリーである。
近現代の音楽も決して不得手ではないが、戦後数年ぐらいまでは楽員が近現代の作品を演奏することに対してあからさまに拒絶反応を示すことがよくあったという(ゆえにレコードプロデューサーのジョン・カルショーは「1910年以降作曲された作品に関して演奏することを極端に嫌がるオーケストラ」と評している)。独自の潤いを持つサウンドが近現代音楽とはミスマッチだという意見もあるが、「春の祭典」の大マニアでレコードコレクターであった英文学者の鍵谷幸信は、それでも「(この曲を演奏する上での)欠点と呼ぶには美しすぎる」と書いている。
特に彼らの常任指揮者でもあったマーラーの交響曲に対する反発は非常に強かったが、マーラーの弟子であったワルターや、マーラーの交響曲を得意としたバーンスタインが数多く取り上げるようになってから、マーラーはウィーン・フィルの主要レパートリーの一つとなったのである。最近では、新ウィーン楽派や、ハンガリー出身の作曲家リゲティなどもブーレーズらと頻繁に取り上げるようになった。……
(Wikipedia: ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)