
スヴャトスラフ・リヒテル
スビャトスラフ・リヒテル(Святосла́в Теофи́лович Ри́хтер、Sviatoslav Teofilovich Richter、1915年3月20日 - 1997年8月1日)は旧ソヴィエトを代表するピアノ奏者のひとり。ドイツ人を父にウクライナで生まれたが、主にロシアで活躍(ただし在留ドイツ人として扱われた)。その卓越した演奏技術から20世紀最大のピアニストと呼ばれた。
生涯
リヒテルは、ピアニストの両親のもとにウクライナで生まれた。独学でピアノをマスターした後、オデッサ歌劇場で働き始める。22歳になってからモスクワ音楽院に進み、本格的にピアノを勉強し始めた。そのとき、彼の教師ゲンリフ・ネイガウスは「何も教えることがなかった。」という言葉を残している。
30代になってからピアニストとして遅咲きのデビュー。そのインパクトは大きく、冷戦で対立していた西側諸国でも「鉄のカーテンの向こうに恐ろしいほどのピアニストがいる」とささやかれるほどだった。死後に残されたプライベートレコーディングの中には超絶技巧を要することで知られるショパンの練習曲の作品10の4のビデオが残されているが、全曲を1分32秒で演奏しており、恐らくはこの作品の最高速演奏と言われている。しかもその演奏はエキセントリックなムードに終わってはいないのである。
リヒテルは、音楽以外にも数々の芸術に優れていた。特に絵画はプロ並みの腕前をもち、演奏旅行で印象に残った風景を、後に寸分の狂いも無くキャンパス上に再現したといわれる。文学者のパステルナークとは大変に親しい友人であり、パステルナークが音楽家への道を断念したのは「スクリャービンとリヒテルの才能の大きさを目の当たりにしたから」である。
リヒテルが愛用したピアノはヤマハだった。彼は、「柔軟で感受性が鋭く、特にピアニシモが非常に美しい。私の表現したい心の感度を歌ってくれる」と語っている。(このコメントは本当にリヒテルの本心から生まれた発言なのかは今でも外資ピアノ関係者の間で意見が分かれている。)NHKのドキュメンタリー番組プロジェクトXでも以前取り上げられた。
このいきさつには彼の演奏メソッドにも関っている。彼のピアノ奏法に上部雑音が多く(全盛期の演奏では録音ですら確認できる)、それを軽減してくれる最良のメーカーがヤマハだったからと言われる。彼は通常の鍵盤から離れて打つロシアン・メソッドの他に、腕力で鍵盤を強く圧する独特の癖があり、この癖にヤマハのピアノが良く耐えたからとも言われている。実際、当時の演奏写真でも手首をかなり下げて圧力をかけている様が確認できる。
晩年はグリーグの抒情小曲集のみでリサイタルを行うなど、既成のコンサートマナーへの挑戦的な態度は最後まで持続し、技巧の衰えを豊かなタッチで補いつづけていた。「ロシア三大ピアニストは、リヒテル、ギレリス、そしてペトロフだ」という評価は未だに揺るいでいない。この三人以上の技術を持つロシアのピアニストは増えたにもかかわらず、真の後継者は未だに現れてはいない。……
(Wikipedia: スヴャトスラフ・リヒテル)